空手家一覧

空手を「手」の時代から守り継承してくれた偉大な武士たち。
そしてここに名前のない者たちも無視できない。彼らがいたからこそ今僕らは空手ができる。

(参考)
沖縄空手会館:展示パネル解説文


沖縄県指定無形文化財

1997(平成9)年8月8日指定
 長嶺将真(松林流) 八木明徳(剛柔流) 糸数盛喜(上地流)

2000年(平成12)年9月12日指定
 伊波康進(剛柔流) 友寄隆宏(上地流) 仲里周五郎(小林流)
 仲里常延(少林寺流) 宮平勝哉(小林流) 湧川幸盛(剛柔流)

2013年(平成25)年5月7日指定
 石川精徳(小林流) 上原武信(上地流) 比知屋義夫(剛柔流)
 仲本政博(古武道) 東恩納盛男(剛柔流)

2020年(令和2)年5月19日指定
 伊波光太郎(古武道) 伊波清吉(小林流) 喜久川政成(剛柔流)
 高良信徳  仲程力(上地流)  眞栄城守信(小林流)

 

 赤嶺栄亮
  安里安恒
  赤嶺嘉栄
  新垣安吉
  新垣世璋
  石川精徳
  糸数盛喜
  糸洲安恒
  伊波康進
  伊波興達
  伊波光太郎
  伊波清吉
  上地完英
  上地完文
  上原三郎
  上原清吉
  上原武信
  上原優希徳
  宇久嘉隆
  大城朝恕
  大山倍達
 神谷仁清
  喜久川政成
  儀間真謹
  喜屋武朝徳
  喜屋武朝扶
  京阿波根実期
  許田重発
  金城裕
  金城真三良
  具志川親方
  久場興保
  桑江良正
  呉賢貴
  湖城以正
  湖城親方
  湖城嘉冨
  小西康裕
さ 蔡昌偉
  佐久川寛賀
  島袋善良
  島袋龍夫
  島袋太郎
  祝嶺正献
  城間眞繁
  新里仁安
  新城清優
  添石良徳
  祖堅方範

 

た 平信賢
  高良信徳
  玉得博康
  玉城寿英
  玉村進
  多和田真睦
  知念思可那
  知念正美
  知念真三郎
  知花朝章
  知花朝信
  照屋規箴
  遠山(親泊)寛賢
  渡嘉敷親雲上
  徳田安文
  渡口政吉
  友寄隆宏
  友寄隆優 
 仲井間憲孝
  仲井間憲里
  仲里常延
  仲里周五郎
  仲宗根正侑
  仲程力
  仲本政博
  長嶺将真
  西方親方
は 花城長茂
  東恩納寛量
  東恩納盛男
  比嘉世幸
  比嘉清徳
  比嘉佑直
  比知屋義夫
  福地清幸
  船越(富名腰)義珍
ま 眞栄城守信
  真壁朝顯
  又吉真光
  又吉眞豊
  松村宗棍
  松茂良興作
  摩文仁憲和
  宮城長順
  宮里栄一
  宮平勝哉
  本部朝基
  本部長勇
  
や 八木明徳
  屋部憲通
  屋比久孟伝
  山口剛玄
  山里(山田)義輝
  山田義恵
  山田辰雄
  義村朝義

わ 涌川幸盛

1600年代

 

 

京阿波根実期(不明)
kyoahagon Jikki

16世紀後半、琉球王国時代の伝説上の武術家。
文献「球陽」上に記録のある最古の素手格闘術の武術家と言われる人。 

 


西方親方(生没年不詳)

Master Nishinda
18世紀の手の使い手。

 

 

具志川親方(生没年不詳)
Master Gushikawa
18世紀の手の使い手。

 

 

湖城親方(唐名:蔡肇功さいちょうこう)(16561737
Master Kojo
湖城流始祖。中国、清の皇帝より中国兵法の皆伝書を授与されたと言われる。


1700年代

 

 

渡嘉敷親雲上(1743-1837)
Tokashiki-pechin
18世紀の使い手。

 


添石良徳(1772‐1825)
Soeishi Ryotoku
添石家は琉球王国の武芸指南役。
「周氏の棍」「趙雲の棍」「添石の棍」を総括して添石流棒術と呼んでいる。

 


真壁朝顯(1773-1829)

Makabe Choken
進貢使節の一員として北京へ行き中国拳法を修めたと言われる。
真壁チャーン(小型の鶏)の異名をとった。

 


佐久川寛賀(
1786-1867)
Sakugawa Kanga
琉球王国時代の空手の大家。
「彼のあとに彼なし。彼の右に出る人はいなかった」と称えられる武術家。
中国に留学し琉球国学の教師でもあった。
「佐久川の棍」という棒術が今に伝えられている。

 


知念思可那(1797-1881)

Chinen Umikana琉球王国時代の武術家。
青年時代、進貢船に乗り中国福州で武術修行。
佐久川寛賀が中国から持ち帰った六尺棒とサーシを愛用し、80歳になっても毎日鍛錬を欠かさなかったと言われる。


1800年代



 

宇久嘉隆(1800-1850)
Uku Karyu
照屋規箴とともに泊手の始祖と言われる一人。
身体を堅固にしていかなる強敵に対してもくじけないよう日々鍛錬して敵の攻撃を受けても少しも動じることがない、強力な防御力と強靭な肉体を誇った。

 


照屋規箴(1804-1864)

Teruya Kishin
泊手の始祖のといわれる一人。
松茂良興作、親泊興寛の師。空手の伝授には弟子の人格を重視し、技を超越した精神面を大切にして仁・義・礼・智・信の五常をわきまえよと教えた。

 



松村宗棍(1809-1899)

Matsumura Sokon
首里手の大家。「武士松村」と呼ばれた。
位(品位、品格にあふれている)の松村として沖縄空手の歴史に名高い。
中国や薩摩に度々渡航し様々な武術を研鑽、示現流の伊集院弥八郎に師事し免許皆伝を授与。
糸洲安恒や安里安恒ら沖縄空手を代表する著名な弟子を多数送り出している。

 


多和田真睦(1814-1884)
Tawada Shinboku
知花朝信、糸洲安恒とは姻戚関係。
三尺棒を得意とし「多和田棒」を編み出した。

 


蔡昌偉(1816-1906)

Sai Shoi
湖城流2代目。
棒術と杖術の名手。湖城流棒術を伝授した。

 

 

仲井間憲里(1819-1879)
Nakaima Norisato
 中国北京で清国「王室護衛官養成所」の長、劉龍公に師事。
帰国に当たり術技の解説書「武備誌」、ケガや軽い病に対処する「養生法」、天候を見定める「占星術」などを持ち帰る。
家訓は「門外不出、一子相伝せよ」



 

安里安恒(1827-1906)
Asato Anko
琉球王国名門の出身。
首里手の松村宗棍に師事し糸洲安恒とは兄弟弟子の関係。
尚泰王の近くに仕え四書五経にも通じた文武両道の人。
唐手、古武術、剣術(示現流)をお極め那覇手や泊手にも通じていた。


 

 

松茂良興作(1829-1898)
Matsumora Kosaku
泊手中興の祖。
はじめに宇久嘉隆に学び次に照屋規箴にも教えを受けただ一筋に沖縄空手を究めた。
琉球処分前後の苦難の時代を乗り越え「泊手中興の祖」「義烈武士松茂良」として人々に敬慕される。

 

 

糸洲安恒(1831-1915)
Itosu Anko
首里の士族出身。
松村宗棍に師事し、生涯を空手に打ち込む。
1908(明治41)年10月、県学務課に「唐手十箇条」を提出。
空手が多くの人に親しんでもらえるよう平安初段から5段までを創案した。
学校教育としての空手の普及発展にも貢献した。



 

湖城以正(1832-1891)
Kugushiku Isei
 主に琉球王国時代に活躍した湖城流3代目。
父の蔡昌偉とともに中国に渡り中国武術を修得。中国ではイワーに師事し師範代まで努め名人といわれた。

 

 

金城真三良(1834-1916)
Kinjo Masanra
 金城大筑(王府の役人の意)と呼ばれる。
釵術の達人。「武の極意は心にある」「古武術の心は防衛であっても先制攻撃ではない」が口癖だったという。
弟子に屋比久孟伝、喜納昌盛らがいる。

 

 

知念真三良(1834-1925)
chinen Masanra
山根流棒術の創始者。
18歳の時、津堅島の棒術の達人のところで修行。得意技は「周氏の棍」「佐久川の棍。「白樽の棍」「米川の棍」
弟子に屋比久孟伝、大城朝恕、知念正美、瑞慶覧町徳、与那覇正牛らがいる。


 
 


山田義恵(1835-1905)

Yamada Gikei
泊村出身。照屋規箴、宇久嘉隆に師事。宇久の影響か体を硬くするのが得意技。
松茂良興作、親泊興寛と泊三傑といわれた。
琉球国最後の尚泰王による冊封が無事終了した祝宴で活躍し褒美をたまわった。

 

 

新垣世璋(1840-1920)
Arakaki Seisyo
屋部親雲上に師事し王府時代は通時を勤めた武術家。琉球国最後の王、尚泰が冊封後に催された御茶屋御殿の祝宴で唐手や古武術を披露した。
もっとも得意とした型は「雲手」
久米綱引き後の騒動では六尺棒を豪快に振って鎮めたという武勇伝がある。

 

 

喜屋武朝扶(1843ー没年不詳)
Kyan Chofu
松村宗棍に指導を受けた武芸百般の人で喜屋武朝徳の父。
琉球処分のとき琉球国最後の尚泰王の東京詰め家扶となり支える。
尚泰王死後、朝徳ともども帰郷し久米村で三線細工を生業として暮らす。



 

知花朝章(1847-1929)
Chibana Chosho
棒術と釵術で非凡な才能を発揮した武術家。
知花クーサンクーの型は華やかでメリハリが効いて美しかったと言われている。
琉球処分後も尚家に忠誠を尽くし続けた。

 

 

東恩納寛量(1853-1915)
Higaonna Kanryo
剛柔流開祖宮城長順の師。那覇手の大家。
福建南拳の大家ルールーコーに支持したといわれる。
10数年の厳しい修行のあと師範代を務めるほどの力量に達し1880(明治13)年頃帰国したといわれる。
1900(明治33)年頃から自宅道場で中学生らに指導を行う一方、県立水産学校、那覇区立商業学校で唐手師範を努めた。
後に自分の流派を立てた宮城長順や許田重発などをはじめ多くの優秀な人材を育てた。



 

桑江良正(1856-1926)
Kuwae Ryosei
松村最後の弟子。
直筆の「松村の遺稿」を与えられた。
蹴り技に優れ、足武士といわれた。琉球処分直後に琉球王国最後の尚泰王が東京に行く際、警護役として同行した。

 

本部長勇(1857-1927)
Motobu Choyu
 本部御殿手開祖。首里手の大家、本部朝基の兄。
一子相伝の武の技法は初歩から同一の術理で組み立てられ、徒手の術も武器の術もすべての動きに共通するという臨機応変の極意技に仕上げた。


 

屋部憲通(1866-1937)
Yabu Kentsu
 沖縄最初の陸軍中尉となった唐手家。
師は松村宗棍と糸洲安恒。
除隊後、県師範学校の体育教師となり、空手の指導を開始。
1919(大正8)年アメリカへ。以後8年間アメリカ各地を視察。
帰路ハワイで唐手の演舞と公演を行った。その後「沖縄県空手道振興会」創設に参画するなど、空手の普及・発展に寄与した。

 

義村朝義(1866-1945)
Yoshimura Chogi
唐手の他、棒術・剣・弓術・馬術・書道・絵画・歌三線など武芸百般に通じた人。
17、8歳頃、松村宗棍に、22,3歳頃東恩納寛量に学ぶ。
「武道の奥義は心丹の錬成こそ基本」との悟りを得る。

 

 

山里(山田)義輝(1866-1946)
Yamazato(Yamada)Yoshiteru
 松茂良興作の弟子。松茂良より「泊手は平和を愛する君子の武術である。ビブを志すものは心が正しくなくてはならない。武道家は立派な型を遵守し、構成に伝承することが大切である」と教えられた。

 

 

花城長茂(1868-1944)
Hanashiro Chomo
空手に確固たる信念を持った首里手の大家であり文武両道の人。
松村宗棍と糸洲安恒に支持。陸軍に志願入隊し、中尉で退役後沖縄県中学校で師範代を務める。その後、安里で道場を開設し空手の指導・普及に尽力

 

 

船越(富名腰)義珍(1868-1957)
Funakoshi Gichin
松濤館流の祖。
安里安恒や糸洲安恒に師事し、首里手の伝承者を自負。1916(大正5)年、本土で初めて、京都武徳殿で又吉眞光とともに唐手を演武。東京の大学を中心に空手を広め、空手の普及に貢献した一人。


 

 

久場興保(1870-1942)
KUba Koho
松茂良興作の弟子。身軽で跳躍力に優れていたので「久場小サールー」と呼ばれた。
その武術は唯一、佐渡山安香に伝えられたといわれている。

 

 

本部朝基(1870-1944)
Motobu Choki
「ティージクン武士(拳の強い人)」と呼ばれた、鶏口拳の使い手。
12歳の時、糸洲安恒に学び 、掛け試しで実力を磨き、実践手の中で「先の先」を知る。外国人拳闘家との試合で名を馳せる。


 
 

喜屋武朝徳(1870-1945)
Kyan Chotoku
6歳頃から父、朝扶の手ほどきを受ける。その後、首里手の松村宗棍や糸洲安恒、泊手の親泊興寛に学ぶ。
40歳を過ぎてから、警察署員や学生、教員志望者、近隣の青年に指導を開始。生涯空手の波乱の人生を送った。

 

 

伊波興達(1873-1928)
Iha Kotatsu
松茂良興作の弟子。本部朝基の掛け試しを受けたが、避けたという逸話が残っている。
興達の武術は仲宗根正侑に伝承された。

 

 

上地完文(1877-1948)
Uechi Kanbun
上地流開祖。1897(明治30)年中国福建省に渡り武術修行を開始。
虎形拳の名手、周子和に師事し免許皆伝を得、現地で道場を開設。
渡中13年を経て帰郷、47歳の時、和歌山市で道場を開設「パンガイヌーン(半硬軟)流空手術研究所」を名乗る。

 

屋比久孟伝(1878-1941)
Yabiku Moden
糸洲安恒より空手、知念真三良より山根流棒術、多和田真睦と金城真三良より釵術の指導を受ける。
毎日、朝晩に鉄下駄を履き、健身球を常に持ち、足腰を鍛えた。
上京後、明治大学で古武術を指導し「琉球古武術研究会」を創設。平信賢は唯一の内弟子。

 

 

知花朝信(1885-1969)
Chibana Choshin
小林流開祖。1899(明治32)年15歳のころ首里手の糸洲安恒に師事。約13年間厳しい指導を受ける。
1918(大正7)年、道場を開設し空手の普及に務める。
1956(昭和31)年、沖縄空手界が大同団結して結成した「沖縄空手道連盟」の初代会長に就任した。

 

 

呉賢貴(1886-1940)
Wu Xiángui(Go Kenki)
白鶴拳の達人。中国福州から来琉。大正から昭和10年代にかけて沖縄の空手会に大きな影響を与えた。
弟子は4名であったが、宮城長順とは親交を重ねた。

 

 

徳田安文(1886-1945)
Tokuda Anbun
糸洲安恒門下。城間眞繁、知花朝信と並び三羽烏といわれた。
台湾で五祖拳や白鶴拳を学び帰郷後、沖縄県立第一中学校の職員となり唐手部師範を努めた。
宮平勝哉の恩師の一人。
ウーセーシとクーサンクーを得意の型とした。

 

 

大城朝恕(1887-1935)
Oshiro Chojo
 親泊興寛に師事。県立師範学校や県立工業高校で空手を指導。
知念真三良から山根流棒術を学び達人となった。
弟子思いの朝恕からは謝花健興、呉屋栄慎、呉屋栄喜、泉川寛得、伊地朝晨、真栄城朝徳ら数多くの空手家が育った。

 

 

許田重発(1887-1968)
Kyoda Juhatsu
 東恩流の開祖。15歳の頃、東恩納寛量に師事。宮城長順とは同門でよきライバル関係。
県師範学校に在学中に屋部憲通より指導を受ける。
卒業後、教壇に立ち小学校校長を歴任。
定年退職後、大分県別府に移り少数精鋭主義の指導を続けた。

 

 

又吉真光(1888-1947)
Matayoshi Shinko
 初代金硬流宗家。又吉家家伝の拳法と武器術を祖父眞珍より手ほどきを受け、安慶名直方より棒術と釵術を習得。
呉賢貴の勧めで中国福州に渡り金硬老師と出会い虎鶴像形とサンチンを中心に福建少林拳の指導を受ける。

 

 

宮城長順(1888-1953)
Miyagi Chojun
 剛柔流開祖。11歳の頃から新垣隆功に唐手の手ほどきを受け、15歳の頃から東恩納寛量に師事。
準備・補助運動・器具を用いた鍛錬法や東恩納から継承した型の実践、研究して体系化した。
空手の発展と普及のため県内の各種学校、関東や関西の大学、さらに中国、ハワイでも指導した。
沖縄県体育協会唐手部長、日本武徳会沖縄支部常議員などをなどを歴任し大正末期から戦前期の沖縄空手界の中心的役割を担った。

 

 

遠山(親泊)寛賢(1888-1966)
Toyama(Oyadomari)Kanken
 糸洲安恒、東恩納寛量、板良敷朝郁らに師事。特に糸洲に見込まれ、徳田安文とともに特別に指導を受けた。
さらに知花朝信からも寵愛を受け、知花クーサンクーの型を伝授される。
すべて沖縄正統空手道であるとして生涯流派を名乗らず。

 

摩文仁憲和(1889-1952)
Mabuni Kenwa
糸東流開祖。13歳の頃、糸洲安恒の門下となる。その後、那覇手の東恩納寛量にも学ぶ。
警察官として勤務しながら空手の修練を続け1918(大正7)年「空手研究会」を自宅に設立。
1934(昭和9)年、大阪に道場「養秀館」を開設し「糸東流」を名乗る。


 

城間眞繁(1891-1957)
Shiroma Shinpan
糸洲安恒の門下。型を理論的に深く研究し「空手道の型は一つひとつの動作がそれぞれ攻防の意義を持つものである」と述べている。
1937(昭和12)年「沖縄県空手道振興会」が考案した基本型第1段から第12段の創作に中心的役割を果たした。

 

 

祖堅方範(1891-1982)
Soken Hohan
松村宗棍より教えを受け継いだ”ナビータンメー(伯父)に師事。空手、古武術ともに速さ、力強さ、美しさで定評があった。1975(昭和50)年に結成された「少林流松村正統沖縄古武道協会」の会長に就任。白鶴拳、津堅の棒の名手といわれた。

 

 

小西康裕(1893-1983)
Konishi Yasuhiro
 神道自然流開祖。
剣道・柔術を修めて「良武館小西道場」を開設。船越(富名腰)義珍と出会い空手を学び同門の大塚博紀とともに約束組手を考案する。本部朝基と摩文仁賢和にも師事した。

 

 

仲宗根正侑(1893-1983)
Nakasone Sieyu
伊波興達、松茂良興佐、真栄田義任、仲里睦弼に指示。
1961(昭和36)年に発足した「沖縄古武道協会」に入会。生涯を空手の研究と指導一筋に打ち込み、戦後沖縄の空手界のご意見番として活躍した。

 

 

神谷仁清(1894-1964)
Kamiya Jinsei
宮城長順に師事。戦後、武道復活のため「修練会道場」を開設し、棒術、空手の指導に尽力。
医師であるとともに琉球古典音楽、琉球舞踊の保存育成にも努めた。武道、医療、芸能、教育の各分野で超一流の働きをした多芸多才の人。

 

 

平信賢(1897-1970)
Taira Shinken
船越(富名腰)義珍に師事。船越の右腕として空手の普及に専念する。
1929(昭和4)年より屋比久孟伝より古武術の指導を受ける。境涯を通して古武術の研究、普及、発展に努め沖縄に伝わる42種類の型を後世に伝えた。

 

 

友寄隆優(1897-1971)
Tomoyori Ryuyu
上地完文が和歌山に開設した社宅道場の一番弟子。
”先の先”で相手の動きを封殺し電光石火の正拳突きと蹴り技で相手に対した剛拳の人。
世に通じ、人に通じ、拳に通じ、漢方薬(打ち身薬)に通じていた。
政財界に太いつながりがあった。

 

 

儀間真謹(1896-1989)
Gima Shinkin
 糸洲安恒と屋部憲通に師事。東京商科大学(現・一橋大学)に入学後、歴史学者の東恩納寛惇が舎監を務める「明正塾」に入る。船越(富名腰)義珍が講道館で嘉納治五郎らの前で行った公開演武において、助手として参加し、ナイハンチを披露。

 

 

比嘉世幸(1898-1966)
Higa Seiko
 初め東恩納寛量に学び、師の亡き後、宮城長順に師事する。沖縄県巡査となり、警察官を中心に剛柔流空手を指導した。
1960(昭和35)年、剛柔流空手道本部「尚道館」を開設。「国際空手古武道連盟」「沖縄県空手道連盟」の会長職を歴任し、国際的な普及発展に尽力した。

 

 

知念正美(1898-1976)
Chinen Masami
 祖父は山根流棒術創始者の知念真三良。真三良の指導を受け、棒術の達人となる。得意技は「佐久川の棍」。

 

 

新垣安吉(1899-1929)
Arakaki Ankichi
小学校時代は城間眞繁、中学校時代は花城長茂に師事。中学中退後は知花朝信の元で本格的に修行する。
25歳の時、喜屋武朝徳と出会い、師弟関係を結ぶ。武術理念は「動く目標を捉える技の速さ」を追求した。


 1900年代

上原三郎(1900-1965)
Uehara Saburo
当初、本部朝基のもとで空手修行。その後、友寄隆優の勧めで上地完文に師事。戦後、帰郷し1948(昭和23)年「修得会空手術研究所」を開設。
生涯「サンチンにはじまってサンチンに終わる」を一途にその奥義を追求した。

 

 

新里仁安(1901-1945)
Shinzato Jin’an
 宮城長順の高弟の1人。1930(昭和5)年、師の宮城の命で明治神宮奉納武道型大会に唐手を披露するため上京。主催者から着衣を求められたが、唐手の真価が発揮できないとして認めさせ、演武後、満場の観衆を感服させた。
流派名を問われて窮したことを帰県後、宮城に伝えたところ「剛柔流」の命名がなされたと言われる。

 

 

上原清吉(1904-2004)
Uehara Seikichi
 本部御殿手の本部朝勇に師事。朝勇から秘伝武術極意免状を授与された。
1951(昭和26)年「聖武館」を開設し本部流を名乗り「本部流古武術協会」を創設。
1965(昭和40)年には「全沖縄空手古武道連合会」を組織して理事長に就任。郷土文化としての伝統武術の普及発展に貢献した。

 

 

山田辰雄(1905-1967)
Yamada Tatsuo
 日本拳法空手道開祖。竹内佐一に柔術を学んだのち、本部朝基が大阪で結成した「唐手普及会」に入門。戦後、日本大学の空手部の師範となる。
1955(昭和30)年頃、東京で道場を開設。1959(昭和34)年、グローブ着用による直接打撃制の競技空手を考案したフルコンタクト空手の先駆者。

 

 

玉城寿英(1905-1997)
T
amaki Juei
 1937(昭和11)年、31歳の時南洋パラオに渡り、比嘉世幸と出会い師事。移行、市が没するまでの29年間師弟関係にあった。
1965(昭和40)年、「世剛館」を会館。「国際古武道連盟」の2代目会長を務めた。「義の後は武なり」を信条とした。

 

 

島袋太郎(1906-1980)
Shimabukuro Taro
小学校の頃徳田安文に、中学校の頃城間眞繁に、商業学校の頃知花朝信に学び、その後、喜屋武朝徳に師事する。その他、
伊波興達、安里安恒、屋部憲通、宮城長順、呉賢貴、屋比久孟伝らから様々な型を学ぶ。
抜群の稽古量と実践量から「空手の鬼」と呼ばれた。 

 

 

玉得博康(1906-1985)
Tamae Hiroyasu
 初め大浜賢助に首里空手と棒術の手解きを受ける。その後、城間眞繁に師事。
型を重んじる自らの空手を首里手と泊手を継承する王統流とし「尚武館」と命名。
防具付き組手の普及に情熱を傾けた。

 

 

玉村進(1906-1998)
Tamamura Susumu
 上地完文の弟子。膂力と握力に非凡なものを発揮し「武と芸が形質ともに備わったとき空手は本物の武芸となる。そのことをよく考えるべだ」と説いた。
温厚篤実な人で実業家としても成功を収めた。

 

 

沖縄県無形文化財保持者
長嶺将真(1907-1997)

Nagamine Shoshin
松林流の祖。泊手の久場長仁に空手の手解きを受け、島袋太郎、新垣安吉に師事。
その後、警察に勤務しながら、喜屋武朝徳の指導を受け、1937(昭和12)年道場を開設。
戦後は各流派の大同団結に心を砕いた。

 

 

島袋龍夫(1908-1975)
Shimabukuro Tatsuo
一心流創始者。スポーツ空手の先駆者。
初め宮城長順に師事、那覇商業高校同期の長嶺将真の紹介で喜屋武朝徳の教えも得る。
1956(昭和31)年、一心流を興し「一心流空手道協会」を設立。この頃、米軍海陸空軍と空手指導契約をむすび、将兵に指導を開始。沖縄空手の国際化の一端を担った。

 

 

赤嶺嘉栄(1908-1977)
Akamine Kaei
上地完英の直弟子。同門の玉村進とは入魂の間柄。他人に降りかかる火の粉も飛んでいって、自ら払い除くという積極果敢な正義的武人。
膂力抜群で沖縄角力の横綱でもあった。実業界でも成功を収め、隠然たる影響力を持っていた。

 

 

島袋善良(1909-1969)
Shimabukuro Zenryo
 25歳の時、喜屋武朝徳と運命的な出会いをし、生涯師として仰いだ。仲里常延、島袋龍夫とは喜屋武門下生の仲間。
1962(昭和37)年に「聖武館」道場を開設。「全沖縄空手道連盟」の副会長に就任し、空手の海外普及を積極的に行う。

 

 

山口剛玄(1909-1989)
Yamaguchi Gogen
全日本空手道剛柔会の創始者。示現流剣術を修め、立命館大学時代に宮城長順と出会い師事。
本土での剛柔流の発展を委ねられる。空手の海外での普及にも貢献した。

 

 

湖城嘉冨(1909-1996)
Kojo Kahu 
湖城流6代目。祖父、嘉宝のもとで空手の英才教育を受ける。
湖城流を継いだ7代目の繁が1975(昭和50)年に体調不良となり道場を閉鎖。その後、湖城流の継承者は不明となっている。

 

 

比嘉佑直(1910-1994)
Higa YUchoku
城間次郎から空手の手ほどきを受け、新里仁安、宮平政英に師事。1948(昭和23)年、知花朝信より師範免状を授与される。得意技は突き。ティージクン(拳)の強さ、速さは他の追随を許さなかった。得意技はパッサイ、ソーチン。

 

 

仲井間憲孝(1911-1988)
Nakaima Kenko
劉衛流開祖。ジャンルを問わず多くの武道家と交流。特に、宮城長順とは入魂の間柄であった。空手・古武術・剣道を三位一体で修めた名手。門外不出、一子相伝を公開に踏み切り、世界チャンピオンを初め逸材を多く育てた。

 

 

上地完英(1911-1991)
Uechi Kanei
上地流空手道宗家2代目。
1927(昭和2)年より父であり師でもある上地完文の和歌山の道場で修業。
26歳の時、免許皆伝となり大阪市西成区道場を開設。
その後兵庫県尼崎市に道場を移設し、父が命名した「パンガイヌーン(半硬軟)流空手術研究所」を「上地流空手術研究所」に改名する。
帰郷後、上地流の普及、発展に邁進し多くの逸材を送り出した。

 

 

沖縄県無形文化財保持者
八木明徳(1912-2003)
Yagi Meitoku
 沖縄空手道剛柔会創設者。15歳の頃から宮城長順の指導を受ける。
1938(昭和13)年警察官となり、各署に勤務。
1952(昭和27)年40歳の時、久米に明武館道場を開設。
1956(昭和31)年「沖縄空手道剛柔会を設立。同年、上地流、小林流、松林流が大同団結し「沖縄空手道連盟(その後全沖縄空手道連盟に名称変更)」を結成し、初代会長に就任。長きに渡り沖縄伝統空手の保存継承に尽力する。

 

 

沖縄県無形文化財保持者
糸数盛喜(1915-2006)
Itokazu Seiki
硬軟流創始者。1933(昭和8)年、18歳の頃、喜屋武朝徳の弟子となる。
その後、上地流の上地完英に師事。
1953(昭和28)年、那覇市に道場を開設。
1971(昭和46)年、「上地流空手道協会」を発足し、副会長に就任。
1998(平成10)年に結成された「上地流系空手道連合会」の名誉会長に就任した。

 

 

上原優希徳(1916-1995)
Uehara Yukinori
 宮城長順に師事。シベリアから帰郷後、宮城より本土における剛柔流の普及を勧められる。
全日本空手道剛柔会会長の山口剛玄と出会い、同会に入会。西南学院大学をはじめとする大学と九州地区での普及に尽力した。

 

 

渡口政吉(1917-1998)
Toguchi Seikichi
 比嘉世幸に師事。比嘉がサイパンに指導に行ったオリは、留守居師範代を務める。1954(昭和29)年、空手道剛柔流研究所「尚礼館」を創立。米軍人にも門戸を解放。上京し、法政大学剛柔流会を創立し、市販に就任。海外にも尚礼館の地区本部を数多く開いた。「蛸の渡口」といわれるほど身体が柔らかかった。

 

 

沖縄県無形文化財保持者
宮平勝哉(1918-2010)
Miyahira Katsuya
 沖縄小林流空手道協会2代目会長。
県立第一中学校時代の1933(昭和8)年、知花朝信と徳田安文に師事。5年後には本部朝基にも師事し、首里手の伝統的技法を受け継いだ。
1948(昭和23)年、「志道館空手道場」を開設。門下生から海外で活躍する優秀な空手道指導者を多数輩出している。

 

 

福地清幸(1919-1975)
Fukuchi Seiko
 比嘉世幸に師事。1962(昭和37)年「琉球空手研究会」を主宰し、本土において沖縄空手と本土空手との交流を積極的に行う。2年後、「沖縄空手道剛柔流専武館福地道場」を開設。
「全沖縄空手道連盟」の理事長を務めた。先祖は閔人三十六姓の一姓。

 

 

金城裕(1919-2013)
Kinjo Hiroshi
日本空手道研修会の創始者。知念真三良、大城朝恕、真栄城朝徳、徳田安文、花城長茂らに師事。遠山寛賢から師範免状を授与される。
1949(昭和24)年摩文仁賢和から自筆の糸洲十訓を贈られ、指導の根幹とした。
「韓武館」において防具付き空手による組手空手を主導。空手研究家として著書も多数。

 

 

沖縄県無形文化財保持者 
仲里周五郎(1920-2016)
Nakazato Shugoro
 小林流。1935(昭和10)年の15歳の時から、大阪・堺市で空手修行を開始。
1946(昭和21)年、沖縄に帰郷し、知花朝信に師事。その後師範代を務め、1953(昭和28)年「小林流小林舘仲里道場」を開設、空手・古武術を指導した。
海外に50余の支部同情を持ち、世界各地で大会やセミナー、演武会を開催した。

 

 

又吉眞豊(1921-1997)
Matayoshi Sinpo
 父は初代金硬流宗家の眞光。喜屋武朝徳より首里手、呉賢貴より南派少林拳を学ぶ。
1972(昭和47)年「沖縄古武道連盟」の初代会長に就任.
1976(昭和51)年に「沖縄古武道連盟本部(光道舘)」を設立。多くの古武術家を育成した。

 

 

比嘉清徳(1921-2006)
Higa Seitoku
神道流創始者。
祖父仁和、父民真より空手の手ほどきを受ける。その後、岸本祖孝に弟子入りして個人指導を受ける。
1957(昭和32)年、知花朝信の紹介で知念正美に師事。知念より山根流棒術師範免許第一号を授与される。
本部御殿手の継承者上原清吉にも師事し素手で様々な武器に対応する取手術を修めた。

 

 

宮里栄一(1922-1999)
Miyazato Eiichi
 宮城長順に師事。1946(昭和21)年、宮城の推薦により沖縄県警察に勤務しながら、師を助けて警察学校で指導を開始。師の死後の1957(昭和32)年に「順道館」を開設。1969(昭和44)年「沖縄剛柔流空手道協会」結成し。会長に就任。武道の価値を長い修行によって培われる「不撓不屈の精神」にあると説いた。

 

 

沖縄県無形文化財保持者
仲里常延(1922-2010)
Nakazato Joen
 少林寺流創始者。1937(昭和12)年から1943(昭和18)年の6年間、喜屋武朝徳に師事。
1952(昭和27)年、「求道館」道場を開設。源流に立ち返れを信念とし、型の無修正主義を貫いた。
小学校長、中学校長の要職を歴任した教育者だが、生涯を通して求道者の道を歩む。

 

 

大山倍達(1923-1994)
Oyama Masutatsu
 国際空手道連盟極真会館創始者。船越(富名腰)義珍に師事。その後、幅広く様々な武道家と交流し、直接打撃制の空手を目指す。
1964(昭和39)年、極真会館を設立し、多くのフルコンタクト系各流派を生み出すきっかけとなった。

 

 

赤嶺栄亮(1925-1999)
Akamine Eisuke
 山根流棒術創始者知念真三良の直弟子が数多く暮らす嘉数集落で成長。嘉数棒を習得後、平信賢の門をたたき、師範免状を授与される。
座右の銘は「世間の手や上」いつでも初心を忘れることなく、奢ることなく、謙虚に道を求めよ、と教えた。

 

 

祝嶺正献(1925-2001)
Shukumine Seiken
玄制流空手道の創始者。空手は佐渡山安恒から手ほどきを受け、その後岸本祖孝にも師事。
玄制流空手道は、旋技、運技、変技、転技という身体の動きを基本原理とした。
1965(昭和40)年「日本躰道協会・日本躰道本院」を設立した。

 

 

沖縄県無形文化財保持者
伊波康進(1925-2012)
Iha Koshin
1939(昭和4)年、剛柔流開祖・宮城長順に師事。
1957(昭和32)年、宮城長順の継承者・宮里栄一が「順道館」を開館すると師範代となる。
1964(昭和39)年に自分の道場「正道館」を開設し、指導を開始。海外にも積極的に出かけて熱心に指導を行った。
2000(平成12)年、沖縄剛柔流空手道協会」名誉会長となる。


 

 

沖縄県無形文化財保持者
石川精徳(1925-2013)
Ishikawa Seitoku
小林流。尋常小学校の時、城間眞繁より空手の手ほどきを受ける。その後、知花朝信に師事。島袋太郎からも教えを受ける。陸軍少尉として熊本県で終戦を迎える。
1948(昭和23)年、沖縄に帰郷。
1961(昭和36)年、「首里三箇道場」を開設。
モットーは「我、事において動かざるを良しとする」。


 

 

沖縄県無形文化財保持者
涌川幸盛(1926-2021)
Wakugawa Kosei
1948(昭和23)年から、小林流や古武術の本格的な習得を開始。
剛柔流の宮里瑛一との出会いが、生涯空手と取り組むきっかけとなる。
1971(昭和46)年、伊波康進の正道館を継承し「剛柔流空手道正道館本部」を開設。本格的に弟子の育成にあたる。中国に16回渡航し、武術交流を重ねる。

 

 

沖縄県無形文化財保持者
友寄隆宏(1928-2019)
Tomoyose Ryukou
昭平流・上地流。父・隆優(上地完文と師弟関係)の影響で、1941(昭和16)年から宮城長順に剛柔流を学ぶ。
太平洋戦争後、上地完文に弟子入りし、技に磨きをかける。得意の英語力を生かして米軍関係の仕事に就きながら、軍関係者を中心に指導。
渡米15回以上、米国空手会で絶大な影響力誇る国際派。


 

 

新城清優(1929-1981)
Shinjo Seiyu
上地完文と完英に師事。1960(昭和35)年、「上地流嘉手納修武館」を開設し、多くの優秀な弟子を輩出。その中の米人弟子たちは、世界各地で空手の普及発展に貢献。得意技は突き技。型の演武でのその威力と力強さと速さは圧倒的であった。

 

 

沖縄県無形文化財保持者
比知屋義夫(1930-2017)
Hichiya Yoshio
剛柔流。
1954(昭和29)年、24歳の時、剛柔流・宮里栄一に師事。
1969(昭和44)年の「沖縄剛柔流空手道協会」の発足時には、理事長に就任。
1971(昭和46)年に宮里の勧めで「比知屋空手道場」を開設。協会は欧州、米国、カナダ、南アフリカ、中国、香港など海外16支部があり、指導者として意欲的に交流している。

 

 

沖縄県無形文化財保持者
高良信徳(1930〜)
Takara Shintoku
1950(昭和25)年から上地流開祖・上地完文長子の上地流宗家・上地完英に師事する。
1960(昭和35)年から上地流宗家道場の「普天間修武館」の師範代として後進の指導に尽力。
1967(昭和42)年に唐手道教師を允許される。
1990(平成2)年〜2001(平成13)年のボストンなど米国で上地流の普及に尽力し、戦後の上地流普及の基盤を作り、多くの行進の指導に尽力する。

 

 

沖縄県無形文化財保持者
上原武信(1930−2021)
Uehara Takenobu
昭和5年和歌山県和歌山市に生まれ、戦後間も無く大阪市から沖縄に引揚げ、昭和23年9月那覇市宇栄原(旧小禄村)に父上原三郎が「修徳会小禄道場(現上地流)」を開設したのに伴い入門。以来65年間、上地流空手道を修行し現在に至る。

 

 

沖縄県無形文化財保持者
伊波清吉(1932〜)
Iha Seikichi
1950(昭和25)年首里手の大家・城間眞繁、宮平勝哉に師事。
フィリピンでの指導を経て、1969(昭和44)年にロスアンゼルスやミシガン州に「志道館伊波道場」開設。
1989(平成元)年には米国沖縄小林流空手道志道館の最高責任者となる。
2001(平成13)年に沖縄小林流空手道十段を允許され、沖縄伝統空手の国内外での指導に尽力する。

 

 

沖縄県無形文化財保持者
仲程力(1933〜)
Nakahodo tsutomu
1951(昭和26)年、父比嘉山三(少林流)に師事。
1954(昭和29)年から上地琉開祖の上地完文の直弟子・富山清幸や上地完英の弟子の新城清優に師事。
1968(昭和43)年に「上地流恩納修武館」「那覇修武館」の開設に尽力。
1970(昭和45)年に上地流師範に允許される。
1975(昭和50)年から北米、ヨーロッパでの空手の普及や空手古武道セミナーなどの講師を務め、後進の指導に尽力する。

 

 

沖縄県無形文化財保持者
仲本政博(1938〜)
Nakamoto Masahiro
古武道。
1958(昭和33)年、知花朝信に師事。1969(昭和44)年、平信賢より古武道師範免許允許。
その後、祖堅方範に棒、上原清吉に棒と釵、真栄城朝徳、宮平勝哉にも指導を受け、古武道と空手を極める。
2004(平成16)年、「沖縄県伝統古武道連盟」設立。

 

 

沖縄県無形文化財保持者
東恩納盛男(1938〜)
Higaonna Morio
1955(昭和30)年から剛柔流の宮里栄一と宮城安一に本格的に空手の指導を受ける。その後上京し空手の指導を始める。1979(昭和54)年に「国際沖縄剛柔流空手道連盟(IOGKF)を結成し、1982(昭和57)年、那覇市に「東恩納道場」を開設。
4年に1回、世界大会を開催し、世界60数ヵ国に支部がある。

 

 

沖縄県無形文化財保持者 
伊波光太郎(1939〜)
Iha Kotaro
1958(昭和33)年から小林流の開祖・知花朝信、その後比嘉佑直に空手、また「棒の大城」の高弟・泉川寛得やヌンチャク、釵、鎌の使い手の石川逢英等に師事。
空手・古武術を習得する。
1973(昭和48)年にうるま市に古武道道場「守道館」を開設。
1981(昭和56)年「琉球古武道琉棍会」を結成。
2004(平成16)年「沖縄県古武道連盟」設立に尽力する。


 


沖縄県無形文化財保持者

眞栄城守信(1945〜)
Maeshiro Morinobu
1960(昭和35)年首里手の大家糸洲安恒の弟子で小林流の開祖・知花朝信の弟子の宮平勝哉に師事。
1970(昭和45)年に沖縄小林流空手道協会より師範を允許される。
1974(昭和49)年よりフィリピン、ヨーロッパ、南米等の交流演武への出場やセミナーの講師として活躍。
1989(平成元)年に「沖縄小林流志道館無聲塾道場」を開設し、沖縄小林流を普及し、後進の指導に尽力する。

 


沖縄県無形文化財保持者

喜久川政成(1946〜)
Kikugawa Masanari
1963(昭和38)年から剛柔流の開祖・宮城長順の弟子の宮里栄一に師事し空手を学ぶ。
1983(昭和58)年から国民体育大会(青年男子型)に参加し、優勝など活躍する。
2005(平成17)年に与那原に「沖縄剛柔流空手道協会喜ぶ」喜久川道場」を開設。
1983(昭和58)年に優秀競技者賞(あかぎ国体)受賞。
剛柔流空手道教本作成や沖縄空手世界セミナー等の講師を務め更新の指導に尽力する。