一部人物の生没年に関しては諸説あり
1372 | 中山王察度 明へ朝貢 |
1392 | 中国拳法伝来(説)、36姓帰化 |
1404 | 冊封使始まる |
1492 | 尚巴志 三山統一 |
1609 | 島津侵入 |
1700 | 西平、具志川親方「手揃」編み出す (古舞踊と手の組み合わせ) |
1733 | 唐手佐久川誕生(説) |
1756 | 19回冊封使来琉。公相君随行。 唐手佐久川、北谷屋良が拳法学ぶ(説) |
1762 | 「大島筆記」 (公相君と組合術の表記あり) |
1769 | 真壁朝顕(真壁チャーン)生まれる(1773年説も有り) |
1800 | 松村宗棍生まれる(1776年、1798年、1809年説あり) |
1804 | 照屋規箴生まれる |
1815 | 唐手佐久川死去(説) |
1819 | 仲井間憲里生まれる |
1823 | 真壁朝顕死去 |
1827 | 親泊興寛生まれる(1832年説あり) |
1829 | 松茂良興作生まれる |
1831 | 糸洲安恒生まれる(1830年、1832年、1838年説あり) |
1835 | 山田義恵生まれる |
1852 | 東恩納寛量生まれる(1853年説あり) |
1866 | 屋部憲通生まれる |
1867 | 喜屋武朝徳生まれる(1870年説有り) |
1867 | 船越義珍生まれる(1868年、1870年説あり) |
1869 | 花城長茂生まれる(1875年説あり) |
1870 | 本部朝基生まれる(1871年説あり) |
1872 | 琉球藩設置 東恩納寛量、福州で拳法習得 |
1877 | 上地完文生まれる |
1879 | 沖縄県設置 |
1882 | 屋比久孟伝生まれる |
1885 | 宮城長順生まれる(1888年説あり) 知花朝信生まれる |
1886 | 許田重発生まれる(1887年説有り) 徳田安文生まれる |
1888 | 大城朝恕生まれる |
1889 | 摩文仁賢和生まれる |
1890 | 城間真繁生まれる |
1891 | 祖堅方範生まれる |
1892 | 松村宗棍死去(1890年説あり) |
1897 | 上地完文中国で周子和に師事 |
1898 | 松茂良興作死去(1900年説あり) 比嘉世幸生まれる |
1899 | 知花朝信、糸洲安恒に師事 |
1902 | 宮城長順、東恩納寛量に師事 |
1904 | 糸洲安恒、県立中学で空手指導開始 屋部憲通、師範学校で空手指導開始 |
1905 | 花城長茂、県立一中で空手指導開始。はじめて「空手」という文字を使用。 親泊興寛死去 山田義恵死去 |
1906 | 東恩納寛量、水産学校、商業学校で空手指導 許田重発、県立二中で空手指導 |
1907 | 長嶺将真生まれる |
1908 | 糸洲安恒、県学務課へ「唐手十ヶ条」提出 |
1910 | 比嘉佑直生まれる 上地完文帰国 仲井間憲考生まれる |
1911 | 上地完英生まれる 喜屋武真栄生まれる 比嘉世幸、東恩納寛量に師事 |
1912 | 八木明徳生まれる |
1915 | 糸洲安恒死去 東恩納寛量死去 宮城長順、中国で拳法研究 |
1916 | 船越義珍、京都武徳殿で演武 |
1918 | 知花朝信、鳥堀で道場開設 「空手研究会」(知花朝信、大城朝恕、船越義珍ら) 比嘉世幸、宮城長順に師事 |
1919 | 花城長茂、真和志村長 |
1921 | 皇太子、首里城大広間で空手演武をご覧になる (指揮者:船越義珍) |
1923 | 本部朝基、大阪で空手指導(1924説あり) |
1924 | 那覇大正劇場で「空手大演武大会」 (喜屋武朝徳、本部朝基、摩文仁賢和、祖堅方範ら) |
1926 | 「沖縄唐手倶楽部」(沖縄唐手研究所) (宮城長順、喜屋武朝徳、許田重発、本部朝基ら) 上地完文、和歌山で「パンガイヌン唐手研究所」開設 |
1927 | 屋部憲通ロスアンゼルス、ハワイで空手指導 |
1929 | 新垣安吉死去 本部朝勇死去 |
1930 | 宮城長順、県体育協会唐手部長就任 新里仁安、明治神宮空手演武 宮城長順「剛柔流」を名乗る |
1931 | 長嶺将真、喜屋武朝徳に師事 |
1933 | 知花朝信、「小林流」を名乗る |
1934 | 宮城長順ハワイで空手指導 |
1935 | 富名腰義珍「空手道教範」出版 摩文仁賢和、仲宗根源和「空手道入門」出版 |
1936 | 10月25日「空手座談会」主催:琉球新報社開催 於:昭和会館 長嶺将真、東京で本部朝基に師事 屋部憲通死去 |
1938 | 仲宗根源和「空手道大観」出版 |
1939 | 船越義珍「松濤館」開設 大城朝恕死去 |
1940 | 上地完文流派名を「パンガイヌン」から「上地流」へ |
1941 | 長嶺将真が「普及型1」、宮城長順が「普及型2」を創作 |
1943 | 富名腰義珍「空手入門」出版 |
1944 | 本部朝基死去 |
1945 | 新里仁安死去 花城長茂死去 徳田安文死去 宮平政英死去 喜屋武朝徳死去 |
1947 | 長嶺将真、流派を「松林流」と命名 |
1952 | 摩文仁賢和死去 宮城長順死去 |
1954 | 城間真繁死去 |
1955 | 琉球古武道保存振興会設立 |
1956 | 沖縄空手同連盟結成(初代会長:知花朝信) 船越義珍「空手道一路」出版 |
1957 | 船越義珍死去 |
1959 | 平信賢が沖縄古武術保存研究所設立 |
1961 | 沖縄古武道協会設立(初代会長:比嘉清徳) |
1964 | 糸洲安恒顕彰碑建立 |
1966 | 比嘉世幸死去 |
1967 | 沖空連発展解消し、全沖縄空手道連盟結成 (初代会長:長嶺将真) 副会長:八木明徳、上地完英、島袋善良。理事長:比嘉佑直 |
1968 | 許田重発死去 知花朝信「勲4等瑞宝章」受章 |
1969 | 第一回全日本空手道選手権大会 於:日本武道館 (沖縄の空手家が招待演武) 知花朝信死去 |
1975 | 福地清幸死去 |
1981 | 沖縄県空手道連盟結成 |
1982 | 沖縄空手・古武道連盟結成 比嘉佑直「勲4等瑞宝章」受章 祖堅方範死去 |
1983 | 松茂良興作顕彰碑建立 |
1984 | 第7回世界空手道選手権大会(オランダ)男子型で佐久本嗣男優勝 |
1987 | 東恩納寛量、宮城長順顕彰碑建立 第42回国民体育大会秋季大会(海邦国体)で男女総合優勝 |
1990 | 世界のウチナーンチュ大会開催 (空手道古武道世界交流祭) 日中武術交流演武大会(3団体が協力) |
1991 | 第1回沖縄剛柔流世界空手道選手権 |
1992 | 首里城奉納演武 第1回空手道功労:主催琉球新報社 (長嶺将真、比嘉佑直、八木明徳)受賞 |
1993 | 第8回世界武芸祭(フランス)で沖縄空手古武道特別演武 |
1994 | 11月4日 比嘉佑直死去 |
1995 | 8/24~8/28 沖縄空手・古武道世界大会プレ大会 (太平洋戦争・沖縄戦終結50周年) 20カ国、海外250人、県内50人参加 |
1997 | 8/21~8/25 沖縄空手・古武道世界大会 (県立武道館落成記念) 52カ国、海外755人、県内55人参加 |
2003 | 8/16~8/19 沖縄空手・古武道世界大会 31カ国、海外212人、県外42人、県内126人参加 |
2005 | 沖縄県議会が10/25を空手の日に制定 「自立への人材育成戦略を考える懇話会」が4団体の統一を県に提案 |
2008 | 沖縄伝統空手道振興会設立 会長:仲井真弘多県知事(当時) |
2009 | 8/14~8/16 沖縄伝統空手道世界大会(振興会設立記念) 34カ国、国外646人。県外117人、県内108人参加 |
2013 | 首里城下之御庭演武会(空手愛好家) 首里城御庭特別演武会(無形文化財保持者) |
2014 | 空手の日シンポジウム 空手の日演武祭(国際通りてんぶす前ステージ他) 約1000人参加 沖縄伝統空手指導者海外派遣 アメリカ・ハワイ(1/16~1/18) 島袋善保(少林琉)平良慶孝(松林流) 新城清秀(上地流)八木一平(剛柔流) 参加者:180名フランス・パリ(2/3~2/6) 池宮城政明(剛柔流)島袋春吉(上地流) 比嘉康雄(小林流)佐和田勇人(上地流) 参加者:170名 |
2015 | 空手の日記念演武祭(国際通りてんぶす前ステージ他) 約2000人参加 沖縄伝統空手指導者海外派遣 オーストラリア・シドニー(2/14~2/16) 仲程力(上地流)池宮城政明(剛柔流) 新城成博(上地流)蔵元雅一(剛柔流) 参加者:272名 アルゼンチン・ブエノスアイレス(3/13~3/15) 山城博邦(上地流)親川仁志(少林寺流) 津嘉山聖太(上地流)松田広和(小林流) 参加者:307名 アメリカ・ニューヨーク(11/5~11/8) 喜友名朝孝(少林流)上地強(上地流) 高良一也(上地流)喜久川政成(剛柔流) 参加者:255名 |
2016 | 沖縄県空手振興課業務開始 空手の日記念演武祭(国際通り) 3793人で「普及型1」→ギネスに認定 |
2017 | 3/4 沖縄空手会館オープン |
2018 | 8/1~8/8 第1回沖縄空手国際大会開催 |
2019 | 2/24 沖縄空手大演武会2019 沖縄空手大演武会2019(前編)(後編) を東京丸の内KITTEアトリウムにおいて開催 |
2020 | 2/23 沖縄空手演武大会2020を空手会館特別道場「守禮之館」で開催 |
2022 | 8月「第一回沖縄空手少年少女世界大会」「第二回沖縄空手世界大会」開催 |